松山家庭裁判所八幡浜支部 昭和34年(家イ)3号 審判 1959年4月22日
申立人 横山定夫(仮名)
相手方 横山トヨ子(仮名) 外二名
主文
相手方田宮知則と相手方田宮雪子との間に父子関係の存在しないことを確認する。
理由
一、申立人は主文同旨の調停を求め、申立の実情として申立人は昭和三一年九月以来相手方横山トヨ子と事実上婚姻生活を始めたが後記の如き事情により婚姻届をなし得ないまま昭和三二年九月○日相手方トヨ子との間に長女たる相手方雪子をあげるに至つた。相手方トヨ子はそれより前、既に相手方田宮知則と法律上の婚姻をしていたが、種々の事情から別居するのやむなきに至り、前記昭和三一年九月頃には右知則はその所在も不明で、従つて同人との離婚届は事実上困難で、そのまま申立人と同居生活に入つたのであつたが、その後相手方知則の所在が判明したので漸く昭和三二年八月一六日に相手方知則との合意により離婚届をなし、ついで同年九月○○日申立人との婚姻届をしたところ右離婚後一ヶ月を出でずして相手方トヨ子と申立人との間に出生した相手方雪子を申立人の実子として入籍せしめる事は法律上不可能でやむなくこれを相手方知則の実子として出生届をなし現在に至つている。相手方トヨ子は少くとも昭和二九年三月以降においては相手方知則と夫婦関係を持つたことはなく、申立人と夫婦生活を継続しており、その間に出生した相手方雪子は申立人と相手方トヨ子間の実子であることは間違いないから、前記真実に合致しない戸籍を訂正するため主文同旨の調停の申立に及んだと申述した。
二、よつて審究するに本件調停につき昭和三四年四月二二日当裁判所において開かれた調停期日において申立人と相手方トヨ子並びに相手方雪子の親権者たるトヨ子間に(相手方雪子は相手方トヨ子と相手方知則の離婚届後に出生したとして届出られており右は一件記録中の戸籍謄本により明かであるから相手方雪子の親権者は相手方トヨ子である)申立趣旨に副う合意が成立したが、一方相手方知則については、松山家庭裁判所調査官伊藤忠康並びに福岡家庭裁判所調査官畑地久子作成の各調査報告書によるとその所在は不明で同人の意向を求めることは不可能であるから従つて事実上合意の成立する見込はないのであるがしかし、前記戸籍謄本、調査報告書その他一件記録に徴すれば、申立人申述のとおり相手方雪子は申立人と相手方トヨ子との間に出生した実子であること疑いなく、唯相手方トヨ子と相手方知則の離婚届が遅れたが為めに同人らの実子としての届出がなされたにすぎず、また相手方トヨ子と相手方知則間に事実上夫婦生活が行われた事実があり得ないと認められる本件においては民法第七七二条の子の推定規定も何ら妨げとはならないから当裁判所は調停委員の意見を聞き当事者双方の一切の事情を斟酌して、家事審判法第二四条により主文のとおり審判する。
(家事審判官 水沢武人)